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エッセー「余白」


福井新聞「リレーエッセー つらつら紡ぐ」に寄稿しました。

<2018.6.27 掲載> 「余白」 美術作家・湊 七雄

 色のある世界をモノトーンに置き換えながら描き進めるデッサン。表現としては素朴だが、デッサンを続ければ続けるほどその奥深さを知ることとなる。  現在私は二つの大学でデッサンの授業を担当しているが、いずれの大学でも極力学生と一緒に描くようにしている。それは、ただ単に描くことが好きだというのもあるが、留学時代にデッサンの指導を受けたファンデンベルグ先生の影響が強い。  先生は折に触れ、私たち学生と一緒に描いてくれたが、(失礼ながら)超人的にデッサンが上手いという訳ではなかった。人物モデルを前に、立派なヒゲをなでながらブツブツ独り言をもらし、思うように描けず困り果てている様子を何度も目撃した。しかし、先生の描くデッサンには品格が備わっており、そしてそこには美しい「余白」があった。  鉛筆やペンなど数あるデッサン用具の中で、私が特に好んで使うのは「木炭」だ。柳などが原料となった画用木炭は原始的でシンプルな描画材だが、布を使い炭の粒子を紙に刷り込んだり、指で伸ばしたりと、明暗の表現における可能性は無限に広がる。そして、知る人ぞ知る「消し具」は食パンだ。パンの白い部分を丸め、紙を傷めないよう優しく扱う。書き違えた文字を消しゴムで消す感覚とは異なり、パンを使って明部を描き出す感覚だ。空間を感じながら意図的に余白を創り上げていく。  歴史的にも私たち日本人は 「余白」や「間」を大切にしてきた。それは、日本美術の名画・名品を見ると一目瞭然で、余分なものが描かれていないただの空白部分ではなく、意味を持った空間であることを直感的に理解できる。受け手が自由に意味付けできるのも面白い。  3月末にベルギーでの1年間の滞在を終えて帰国し、早くも3カ月が過ぎた。現地に同行した3人の子どもたちも、帰国直後は日本式の風呂の入り方を忘れており、湯船でシャンプーをし始めたり、オランダ語で言い争いをしていたりとほほ笑ましいハプニングが続いたが、今では家族全員すっかり通常運転に戻った。  ただ、一定の時期を海外で過ごしたせいか、自国を見る目がどうしても変わってしまうようで、特に現代日本の「余裕のなさ」への違和感が大きく、言葉にできない居心地の悪さにつながっている。  日常生活や活気ある社会生活に必要な良質な空白の時間、つまり「余白」が明らかに足りない。  昨今メディアでよく取り上げられる「労働生産性」だが、世界的に見て日本の労働生産性は低いと言われている。勤勉に長時間働いている割に結果につながらないので、「日本人はもっと効率的な働き方に改善すべき!」という声も出ている。  国際比較調査データで就業時間1時間当たりの労働生産性を見ると、日本は46ドルであるのに対しベルギーは72.8ドルとなっている。この種のデータの捉え方には議論の余地があるものの、日本の生産性はベルギーの3分の2以下に留まっている。しかし、日本人や日本企業が諸外国に比べ劣っているとは考えにくい。加えて、効率の良さだけが全てではないとも思う。  ところで、6月末といえば、ヨーロッパの学校は学年末で、児童生徒は2カ月の夏休みを前にワクワクしている頃だ。にわかに信じがたいかと思うが、ベルギーの多くの学校では夏休みの宿題はなく、休み中の登校日もプールもない。先生も2カ月丸々(真面目に!)お休みを取るので、学校には誰もいない。ないない尽くしだ。  夏は家族とのバカンスや楽しいイベントが盛りだくさんだが、夏休み終盤ともなると、子どもたちもさすがに退屈しはじめる。この一見無駄な「余白」の時間に、アイデアを育む創造の庭へと続く秘密の入り口があるように思えるのだが、どうだろう。

<写真キャプション> 福井大学の絵画実習室。人物デッサンを描きはじめて2~3時間が経過したところ。画面全体を見ながら細部を詰めていく。<筆者作・撮影>

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