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Forest Again

気配の手触りを刻む

 

篠原誠司(足利市立美術館学芸員)

 

 

湊七雄の作品は、私たちの意識の内にある、さまざまな風景との出会いの記憶をよみがえらせる。 2008年に発表されたシリーズ「昨日の幻覚」と向かい合った時、私は海辺の光景を思い浮かべた。ここでは、深い青を主にした色彩と、風景の輪郭をなぞるように画面を横切る線で描写がなされている。作品自体は実際に海をモチーフにしたわけではないかもしれない。けれども、その画面はたしかに海を想起させたのである。思うに、内陸の地で育った私にとって、海はある意味で憧憬の対象であり、そうした感情をもって今までさまざまな海の風景と相対してきた。その記憶が湊の作品を前にして呼び起こされたのではなかろうか。もしそうだとしたら、何がそのようなイメージを誘うのか。

この10年、湊は「森」「風」「気流」「霧」など、自然やその事象をモチーフにした作品によって、人が自然の中に身を置いたときに感じるであろう、濃密で静かな気配を表現し続けてきた。彼が森や自然に対してどのような原体験を持ち、それがいかなるかたちで制作に反映されているかは、作品の題名からでも容易には伺い知ることはできない。しかし、彼が森に独りたたずんで感知したであろう気配は、色彩とかたちをもって画面の中に定着し、ゆるやかな大気の動きを表すような繊細な質感となって、風景にまつわる彼の思いを伝えてくれる。 湊の作品を特徴付ける独特の質感は、気配の触感と言い表すこともできるだろう。それは近年、MO紙と呼ばれる越前和紙に、PVCエッチングという、塩化ビニール板を版として重ね刷りをする版画の技法によってもたらされている。硬度の低い塩化ビニール板をニードルなどによって彫り進める作業では、繊細なコントロールの下に線の描写がなされるが、それは、彼がかつて体験してきた風景の記憶を一つ一つ思い返す行為のようにも思われる。また、ゴム・ローラーの多用による刷りの工程でも、その反復はイメージを深化させるだけではなく、記憶の手触りを画面の中で確認する所作であるように思われてならない。 彼はこれらの行程について、肉眼では確認できない自然の中の抽象的な出来事をモチーフにしているため、刻む、彫る、削るといったプロセスを経て、そうした実体のないかたちを自分の中で充分に咀嚼することが必要となると語っている。

こうして作品に表された、実体が希薄でありながらも確かな手触りを感じさせるイメージは、湊がかつて感応し意識の内に堆積する、自然の「影」のような存在なのかもしれない。そして、自然の光景や気配が、制作の行程の中でその身体に吸収されて「影」となった姿は、湊の記憶を介して普遍化した自然の根源にほかならない。 この普遍化した自然に接することで、私にとっての海がそうであるように、人は自身の内にある風景への思いを呼び起こされる。さらに、それぞれの原風景は作品が表すイメージと重なり合って一つになり、濃密な静寂さに包まれた、豊かなる気配が展示空間を満たし始めるのである。

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