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エッセー「基本に忠実に」


福井新聞「リレーエッセー つらつら紡ぐ」に寄稿しました。

<2017.2.22 掲載>

「基本に忠実に」美術作家・湊 七雄

 いささか唐突だが、この4月から1年間ベルギーに住み、ゲント美術アカデミーの客員研究員として版画分野の研究に専念する機会を得た。家族5人揃っての大移動となる。

 私にとってベルギーは、過去に8年暮らした思い出深い場所であり、古巣に戻るようでもある。滞在先のゲント市は、フランダース地方にある人口25万人程の大学都市で、中世の趣が色濃く残る美しい街だ。

 周りに今回の長期海外出張の話をすると、決まって「ベルギーは何語なの?」と尋ねられるが、この国の言語事情はいささか複雑だ。公用語はオランダ語・フランス語・ドイツ語の3つで「ベルギー語」というのはない。ゲント市はオランダ語圏なので、学生時代はこの言語の習得にずいぶんな時間とエネルギーを割いた。しかし、長らく使う事の無かった私のオランダ語はかなり怪しくなっている。

 そこで、折角の機会を活かしオランダ語を基本から学び直したいという学習意欲が湧いてくる。どうやら私はこの「基本」という言葉に強く反応してしまうようだ。それは外国語に限らず、専門の美術でさえも基本が出来ていないような、自分への不信感が根底にあるからだと思う。何をやっても何か足りない。そうだ、足りないのは基本だ!となる訳だ。

 私と同様「基本に忠実に」と考える人は相当数いるようで、書店には「基本」や「基礎」をキーワードとした書籍がずらりと並んでいる。

 では、そもそも「基本」とは何なのか。美術分野における「基本」について思いを巡らせてみよう。

 まず前提として、基本がなければ絵は描けないのかといえば、答えはノーだ。技術的に稚拙でも素晴らしい作品は数多い。

 「上手い絵」が「良い絵」とは限らない。中学でお世話になった美術の先生が繰り返した言葉だ。美術準備室に篭り気味のその先生を訪ねると、色々な作品集を見せてくれるのだが、特に私は20世紀を代表するイギリスの画家フランシス・ベーコンの独自の表現に惹かれた。同時に、彼が独学の画家だと知り「時代は独学だ!」との思いを強めた。

 その後、紆余曲折を経ながらも独学で絵を大量に描き続けたが、いつしか美術の専門教育を受けたいと思うようになり、遅ればせながら19歳で初めて美術予備校の門を叩き、素描と油絵を習い始めた。

 油絵の受験で避けて通れないのが木炭で描く石膏デッサンだ。苦行に似た側面もあり、ただひたすらストイックに描き続ける。しかし、こうしたデッサン力重視の入試・教育スタイルが、個々の創造性を脅かしているという批判が根強くあるのも事実で、ヨーロッパの美術学校では、半世紀も前に石膏デッサンの授業が姿を消している。

 デッサンを学ぶプロセスで基本的造形力を高める訳だが、一度身についたデッサン力はなかなかリセットできず、表現の妨げになることもある。近代美術の巨匠パブロ・ピカソは、自由奔放な表現を目指し、従来の美術の固定概念をどんどん壊し更新して行った。しかし決してデッサン力などの「基本」を否定したのではない。天才であるがゆえ「基本」を極めて多様に捉えていたのだ。

――「子どもはみんな芸術家だ。問題は大人になっても芸術家でいられるかだ。」

ピカソは数多くの名言を残した。

 話が二転三転するが、実のところ近年のトレンドとして、古典的な表現技法習得の重要性に再びスポットが当てられている。歴史はこうして繰り返される。

 「基本」を容易には定義できないが、ひとまずここでは「表現者でありつづけるための鍵」ということにしておこう。

 油絵技法発祥の地であるフランダース地方。中世から引き継ぐ伝統技法や歴史を重んじる精神が、現代でも人々の生活に脈々と息づいている。この春からのベルギー滞在では、これまで知らなかった「基本」を出来るだけ沢山見つけたい。

ベルギー人は生活の中にアンティークを取り入れるのが大得意。(筆者撮影)

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