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エッセー「餅は餅屋」


福井新聞「リレーエッセー つらつら紡ぐ」に寄稿しました。

<2015年2月25日掲載>

「見えないものを見る」

美術作家・湊七雄

 年末に、知人より正月用の丸餅をいただいた。純白で目にも美しいその餅は、福井市内にある老舗餅屋のつきたてだった。近年、帰省先の三重県の実家では、兄夫婦が杵でついた餅が定番となりつつあったが、今年は二種類の餅が元旦の食卓にならんだ。素朴でありながら滋味あふれる自家製も良いが、福井の丸餅には「巨匠の味」とも言える奥ゆかしさがあり、これぞ正に「餅は餅屋」と皆が口を揃えた。

 子どもの頃から、その道一筋の職人さんの生き様や熟練の技に憧れや尊敬の念を抱いている。そんな訳で、美術表現の中でも職人的な技が光る版画は特に好きだ。

 学生時代、西洋の古典銅版画技法を学びたいと考えていた。そこで留学希望先の下見を兼ねてイタリアに旅行した時のことだ。首都ローマに降り立ったその日にスーツケースを失うという失態をおかし、現地で当座の衣類を揃えるはめになった。翌日、雰囲気ある店構えのシャツ専門店を見つけ足を踏み入れると、カウンターに店主がいて背後の棚にはイタリアらしい鮮やかな色のシャツが整然と並んでいた。客は商品に直接触れない仕組みで、この店主とのコミュニケーションが必須となる。せっかくの機会だから日本では手に入らないようなシャツが欲しいと思い、明るい紫を指差した。すると「この色はアジア人の顔の色に合わない。君には小豆色か濃紺だね!」と言うので、おすすめを分けてもらう事にした。しかし良いサイズがなく、結局シャツを売ってもらえなかった。店主がカウンター越しのやり取りのみで身体サイズを正確に目測していたことにも驚かされた。旅先の小さな出来事に過ぎないが、店主の実直でプロフェッショナルな仕事ぶりには学ぶところが多かった。

 話を版画に戻すが、西ヨーロッパでは版画芸術を担う後継者の育成システムが小規模ながら整っていて、彫師・刷師を目指す者は十代の若い頃から技術的訓練を受けはじめるようだ。版画制作には「下絵を描く」、「原版を彫る」、「刷る」という3つのプロセスあり、それぞれに専門家がいる。この分業方式は、西洋版画に限った話ではなく日本も同様だった。例えば、浮世絵版画の名作「冨嶽三十六景」で知られる葛飾北斎は絵師であり、版木を彫ったり、それを摺ったりした訳ではない。

 版画の魅力は多岐にわたるが、制作プロセスに限定するならば、その醍醐味は「刷り」に集約されているのではないだろうか。絵師や彫師が世を去った後も、原版は生き続け、次世代の刷師達により作品としての新たな生命が吹き込まれる。

 フランスのパリ郊外にルーブル美術館の「カルコグラフィー工房」がある。カルコグラフィーとは銅版彫刻術または銅版を保存す場所を意味する言葉で、この工房には何と1万4千点にもおよぶ銅版画原版が収蔵されており、今なおその数は増え続けている。一般公開されていないこの工房を特別に見学させてもらった事があるが、複数のプレス機が備えられ、熟練の刷師達が銅版画原版を用いて今なお作品を刷り続けていた。

 実は、工房長より直々に刷りの個人指導も受けた。17世紀の貴重なオリジナル原版を使ったのだが、絵師が表現しようとした空間をいかにして再現するか、インクの色味や拭き取り方など、気が遠くなるような細やかな配慮と試行錯誤が重ねられていることを知った。歴史の中で蓄積されたノウハウをごく限られた時間で学び取る事は到底出来ないが、壮大なロマンを感じずにはいられなかった。とにかく奥が深い。

 日本ではここ数十年で、個人経営の専門店や製造小売店が減り、スーパー等の大型店が増えたように思う。ドラッグストアで豆腐や餅も買える便利な時代。だからこそ、私たちは大切なものを見失わないようにしたい。次世代に引き継ぐべき人類共通の宝は見えにくいのかもしれないが。

ベルギー・アントワープの街角で見つけた「ロープ専門店」。看板娘が客を待つ。

(著者撮影)

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