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エッセー「今しかない」


福井新聞「リレーエッセー つらつら紡ぐ」に寄稿しました。

<2018.02.28 掲載>「今しかない」 美術作家・湊 七雄

 普段は車か自転車で通り過ぎるだけの通勤路を遠回りしながら1時間以上かけて歩いてみる。凍てつく寒い朝、サイモン&ガーファンクルの「冬の散歩道」のメロディーが頭に流れる。大きなエネルギーを宿した朝日が明暗のコントラストをつくりながらモノクロの街に彩りを与えていく。

--- 自分は確かに今を生きている。

 美しい情景に出会うとき、その感動を具現化し誰かと共有したいという気持ちが湧き上がる。それは偶然見つけた美味しい料理店を、「内緒だよ」なんて言いながら誰かに教えたくなる感覚に似ている。

 昨年の春にベルギーに戻り住んだのがつい先日のようだが、帰国予定日が近づき、滞在も残り数週間となった。ここでの生活もあと僅かだと思うと、ごく普通の日常が特別に感じられようになる。「いつでもできる」が「今しかない」となり、時間の捉え方やモノの見え方までもが変わってしまうから面白い。

 ここでの一年を振り返るとき「光」が重要なキーワードとなる。窓の照明、水面に映る街灯、揺らめくロウソクの炎、霧に滲む車のテールランプ・・・。

--- なぜこんなにも「光」が美しく見えるのだろう。

 中学を卒業した頃だったか、読書家の兄から「読んでおいたたほうが良い!」と渡されたのが谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』だった。私は昔からディクレクシア(難読症)のような症状と付き合っていて、縦書きの本を読むのが特に難しい。 活字が鏡文字に見えたり、紙から浮き上がって見えたりするので、わずか数ページで疲れ果ててしまうのだ。今では、「これも自分らしさの一つ」と割り切れるようになったが、当時は劣等感が強く辛かった。

 ともあれ、そんな私をよく知る兄のお薦めは間違いないので、時間をかけて丁寧に読むことにした。何だろう、自分の身体にスッと溶け込んで行くようなこの感覚。

 かくして私はこの「陰翳の世界」にすっかり魅了されてしまい、以後の作品制作においては、インスピレーションの源ともなっている。

 谷崎は、日本文化にとって「陰翳の世界」がいかに重要であるかを切言すると共に、それを理解しない西洋文化に対し批判的立場をとった。

 しかしその後、我が国の西洋化は急速に進み、今日において、少なくとも日本とベルギーでは陰翳の美意識が逆転してしまったようにさえ感じられる。例えば、日本のショッピングセンターなど過剰に明るいが、ベルギーでは照度の低い照明が主流となっている。一般住宅でも薄明かりが好まれ、「目に悪くないの?」と心配になるほどだ。

 ベルギーでの「光」が美しく見える理由を改めて分析すると、「陰翳の世界」と「今しかない」に重要なヒントが隠されていたことに気づく。

 ある人に、「湊さんの絵は暗いよ。明るくすれば良いのに。」と言われたことがあるが、美しい光を描くには、陰翳が必要になる。画面を占める光の割合は暗い部分に比べるとごく僅か。少し足りないぐらいがちょうどよい。

 また、芸術を成立させるために、「今しかない」という良い緊張感を大切にしたい。それは、発信者と受信者の橋渡し役も担ってくれる。

 妻が音楽家だというものあるが、3人の子どもをクラシックコンサートに連れて行く機会が比較的多い。演奏開始前に「今しか聴けないよ」と小さく耳打ちする。騒いで人に迷惑をかける心配よりむしろ、その時のその時の音を大切にして欲しいと願う気持ちが優っているかもしれない。

 と、ここまで書いて「一期一会」という四文字熟語があったことを思い出した。その時々の「美しい光」との出会いも一生に一度なのかもしれない。

<写真>冬の朝のシタデル公園。ゲント市民がこよなく愛する重要な緑地スポット。敷地内にゲント美術館(MSK)とゲント市立現代美術館(SMAK)がある。(筆者撮影)

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