エッセー「食わず嫌い?」
福井新聞「リレーエッセー つらつら紡ぐ」に寄稿しました。
<2015年8月19日掲載>
「食わず嫌い?」
美術作家・湊 七雄
基本的に食べ物の好き嫌いはなく、何でも美味しく食べるタイプだ。三人の子ども達にも普段から「食わず嫌いはダメだよ」と言い聞かせている。しかし世界に目を向けると「さすがにこれは…」というものもある。たとえば「フィレ・アメリカン」。細かく刻んだ生の牛肉を香草やスパイスで調味し練り合わせたもので、ベルギーの食卓にときどき登場する。見た目は焼く前のハンバーグそのもので、どうしても箸が付けられなかった。(もとより箸は使わないが)
「食わず嫌い」とは、あるものの真価を知らずして理由なく嫌うことを意味する。しかし、そもそも「真価を知る」というのはそれなりにハードルが高い。実際食べなければ分からないことを頭で理解していても、特定のものに対して心と身体が拒否反応を示すこともある。
一方で、幼少期の苦手な食べ物が大人になり好物に変わったというのは良く耳にするし、自身の経験に照らしても、食に限らず時を経て嗜好が変わったことは多々ある。ひょっとすると好きと嫌いは紙一重なのだろうか。
昨年仕事の関係でアメリカ・カルフォルニア州のサンフランシスコを訪ねた。そこで、アメリカを代表する画家の一人、ウェイン・ティーボーの版画展を観る機会に恵まれた。ティーボーといえば、パイやケーキなどのスイーツをモチーフとした作品で知られる超人気作家だが、日本で紹介される機会はなぜか少ない。以前の私は、アメリカという国を体現したようなポップな画風がどうも好きになれず、興味の対象外だった。しかし、よくよく考えてみるとティーボーの作品はインターネットや画集などをとおして知っていただけで、まとまった数のオリジナル作品、つまり本物に触れたのはこの時が初めてだった。
ティーボーの版画作品は影の色味が素晴らしい。一見すると黒に見えるが、よく見ると様々な色が幾重にも重なり独得なトーンを生み出していることが分かる。一転してティーボーの大ファンになった私は、シンプルなのにこれほどまでに美しい絵画の魅力を深堀りすべく、数冊の画集を入手した。ページをめくりながら、かつての自分はどんな眼でこれらの作品を観ていたのだろうと思うほど、すべてが違って見えるのだ。
近年展覧会の仕事でご一緒しているレコーディング・エンジニアの友人が面白い話しをしてくれた。彼は「音」に携わる多くの人と仕事しているが、音楽家にはステレオなどの音響機器に無頓着な人が多いそうだ。生音の経験値が高いので、録音された音源の再生環境が高音質でなくても、自分がもつ生音の記憶にアクセスしながらが聴く事が出来るのではないか、というのが彼の見解だ。
美術に限らず、音楽や舞台芸術も同様だが、「生」に触れてはじめて発見出来る事は沢山ある。そしてその後の芸術体験をより豊かにしてくれる。
生の肉は食べられないと先に言っておきながら幾分の矛盾があるが、芸術に関わる者の一人として、「生」がもつ力を広く発信し続けたいと思う。
サンフランシスコのPaul Thiebaud Gallery外観。閑静な住宅街の中にある上品なスペース。間口は狭いが中は広い。